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旋網時代

我が国のサンマ漁業は、1700年頃に熊野灘で始まった

サンマが回遊しているのは比較的沖合で、そのサンマをとる効率的な漁法がそれまでなかった。しかし、サイラ大網(旋網)が発明され、サンマ漁業は、紀州沿岸で主要漁業として定着・発達する。サイラ大網による漁法が房総に技術移転され、江戸時代後期には外房一帯でもサンマ漁業が盛んになる。さらに伊豆沿岸にも普及していった。

脂ののった旬のサンマが大量に江戸に送られようになったことから、庶民の味として一気に広まった。落語にも出てくる「目黒のさんま」の時代背景である。

その後、約200年、旋網によるサンマ漁業は明治時代まで続いた。

流刺網時代

明治末期に、漁獲効率の良い流刺網が開発され、旋網漁法にとって代わって、流刺網漁法が普及していく。さらに、大正期には漁船の動力化・大型化によって沖合操業も可能となり、サンマ漁は沿岸漁業から沖合漁業に変貌していく。

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棒受網時代

第二次大戦後、火光利用の棒受網が採用される。撒き餌を必要としないし、漁具の構造も簡単で、操作が容易なうえに、魚体に傷をつけないという強みが重なり、漁獲効率が著しく向上した。現在までほとんどのサンマ漁はこの漁法をとっている。

サンマ棒受網漁1

魚群探知機でサンマの群れを探知し、集魚灯をつけながら移動する。

サンマ棒受網漁2

魚群に近づいたら、船の右側の集魚灯だけを点け、サンマを右側に誘導する。その間に、船の左側では網を敷き、捕獲の準備をする。準備ができたら、右側の集魚灯を後ろから順次消していく。同時に左側の集魚灯を前の方から順次点けていき、サンマを左の網に誘導する。

サンマ棒受網漁3

サンマを集めたら、赤色灯を点け、興奮状態のサンマを落ち着かせ、網の中で群れ行動をとらせる。網の中で群れ行動をとったら網を手探り寄せ、氷を混ぜながら魚を倉に入れる。

北海道サンマ漁業は明治時代末から日本海で手づかみ漁業に始まり、オホーツク海では1920年代に定置網で漁獲されていたが、1948年から棒受網漁が始まった。

1947年からえりも岬以東太平洋で、棒受網漁がおこなわれ,道東は全国一のサンマ産地になった。